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ぜんの辛んま物語

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物語

 

東大阪生まれのこだわり調味料、「ぜんの辛んま 青唐辛子みそ」。
今まさに海を渡り、世界への一歩を踏み出す瞬間を迎えていた。
出荷先は美食の国として名高いベルギーだ。

「ここまで来たなあ。」

出荷直前の瓶詰めされた商品を手に、190cmに手が届く長身の男がつぶやいた。
生産者の金光 哲(かねみつ あきら)通称「ぜん」だ。

愛おしそうにゆっくりと「ぜんの辛んま 青唐辛子みそ」と書かれたラベルをなぞる。

そして、口元を引き締め、こう続けた。

「いや、これからだ。」

ひとつの商品を産み出し、世に送り出す。
数年前まではそんなことを考えたことも無かった。
そんな人生があり、自分がそんな道を選ぶということを、
少しも考えたことが無かった。

元々は工業用機器の金具を製作する職人であった「ぜん」。
彼は、今まさに世界に向けてメイド・イン・ジャパンを発信するメーカーとなったのだ。

 

きっかけは、気づけばそばにある。

1986年.
「ぜん」はいくつもの職種を渡り歩きながら、「自分の生き方」を模索していた。
恵まれた体格を生かし、長野のスキー場で、リフトのアルバイトをしていた時である。
同僚に自衛隊を除隊した男がいた。
その男はアルバイトで金を貯め、その金で趣味の海外旅行を満喫していた。

「カナダはいいよ。広くて。自然と文明が共存していて。」

そんな言葉を聞いた。

「海外かあ・・・。」

一度しかない人生。自分の中で様々なイメージが膨らんでゆく。
「何があるんだろう?」

やがてイメージは期待へと変わる。
「いや、きっと自分にとっての、自分の人生にとっての【何かが】あるに違いない。」

思い立ったら何とか行動に移してみたい。

「ぜん」はアルバイトで貯めた金で北米の一周旅行を思い立つ。

当時は今のようにインターネットもメールもない時代。
情報が簡単に手に入らない時代だった。
ましてや海外のこととなると、どこから入手していいか分からない。
何より英語がさっぱり分からない。

「あんなに広い国だ。きっと日本には無いものが沢山あるに違いない。」

しかし、海外でアルバイトをしながら旅行ができるワーキングホリデイビザは、
当時日本国籍を持っていない「ぜん」では取得ができない。

ならば、と、自分でも行けるアメリカへ向かうことを決意。
旅行ならば3ヶ月のビザを取得することができたからだ。

伊丹から飛行機を乗り継ぎ、アメリカのカリフォルニア、ロサンゼルスへと降り立った。

初めての海外一人旅、初めてのアメリカ合衆国。

様々な人種が入り乱れている。通りに立って見渡した。

もちろん見たこともない景色。
右も左も分からない。
自分自身が本当にちっぽけに思えた。

数日過ごした後、
北米でのポピュラーな移動手段である長距離バス「グレイハウンド」のチケットを買った。

一路北へ。目指すはカナダだ。
無事入国し、バンクーバーを拠点にしてそこから東へ、東へ。

壮大な景色に圧巻されつつ様々な地域を視察した。

観光地にいけば日本人はいた。しかし、今ほど多くはいない時代だ。
カタコトの英語と身振り手振りでコミュニケーションを図った。

そこで日本には無いものを一つ見つけた。
それは商材や会社といったカタチあるものでは無かった。

日本では、外国人が道を訪ねてきても、
「ソーリー。ソーリー。」といってその場を立ち去ろうとする日本人が多い時代。
もちろん「ぜん」もその一人だった。

しかし、カナダ人は違った。

「ぜん」の拙い英語とジェスチャーを呆れることなく理解しようとしてくれた。

「最初からコミュニケーションを拒否するのでは無く、
何とか相手が伝えようとしていることを理解しようとする気持ち。」

その気持ちに心が温かくなった。

ある大柄なカナダ人男性に言われた。
「あんた、東洋人だな?オレよりもでけぇ東洋人に会ったのは人生で初めてだよ。」

大声でくったくないその男の笑顔に、なぜか勇気づけられた。

やがてカナダの首都オタワからナイアガラの滝で有名なトロントへ。
そこから再びアメリカに入国した。

気が付くともう2ヶ月が過ぎようとしていた。
気が付くと自分の手元には様々な情報と色々な思い出が残っていた。

右も左も分からない土地にきて、内心ビクビクしながらスタートした日々。
しかし、いつだってどんなキッカケでも、チャンスだ。
そう思えるようになっていた。

カリフォルニアのロサンゼルス。
初めて降り立った日に訪れた通りに立ってみた。

まるで慣れ親しんだ街に見えたのだ。
「街は変わっていない、自分の気持ちの持ちようだ」
ということに気付いた。

最初は右も左も分からなかった。ひとりで歩くことができなかったこの街。
しかし2ヶ月過ごしたという経験の後、同じ場所に立ってみる。
まるで薄曇りが晴れたかのように見える

それは自分自身の中で起こった変化だ。
「降り立った時の気持ち」と、「帰るときの気持ち」の違い。
それからだ。「ぜん」は心に決めた。
【できることはなんでもやってみよう。】

北米での滞在は、「ぜん」の人生に大きなギフトをくれたのだ。

 

そして帰国。こしょう味噌との出会い。   ※こしょう=唐辛子

2ヶ月という北米での長期滞在を終えて帰国。
ひとまず「ぜん」は大阪へ戻った。
カナダでの大自然が忘れられなかったがゆえ、その後長野へ移住を決意した。

冬はスキー場で働き、夏は建築現場で手腕を振るう。
奇しくも時はバブル経済の後期であった。
仕事はいくらでもあった時代だ。

長野での生活も板についてきた。
そんなある日、運命を決定づける出会いがあったのである。

友人宅で夕食をご馳走になった時だ。
濃い茶色の「何か」が食卓に上がっていた。

「あの?これ何?」
訝しげに聞く「ぜん」に友人の母親が答えてくれた。

「これはね、こしょう味噌。この辺りの郷土料理。料理っていっても調味料みたいなものだけど、
是非試してみたら?私が作ったのよ。」

元来その190cmの体格に似合わず辛いものが大の苦手であった「ぜん」。
しかし、友人の母親の手作り。無下にはできないと少し口に運んでみた。

「んまい!!(美味い)」

メシが進む、酒も進む。

確かに辛さはある。しかし、辛さが旨みを一層引き出している。

「唐辛子って、ただ辛いものだと思ってました。これ、うまいです!」

大柄な「ぜん」が子供のように目を輝かせている。
これには友人の母親も喜んだようだ。

「あら!そんなに気に入ってくれて有難う。
うちの家族だと慣れっこでそんな喜んでくれないから。昔からあるしね。」

お土産に持たせてもらい、なおかつ何がどれくらいの分量で入っているかも教えてもらった。

「もう、ほとんど目分量で作ってるから・・・。」

と言われつつも、レシピをメモした「ぜん」。
それから何回か自分でも作ってみたが、しかしながら中々上手くはいかなかった。

そこから4年。

未曾有の大災害「阪神淡路大震災」が関西を襲った。
テレビで見ていて脳裏をよぎったのは母親のことだった。

「親をほったらかしにして、自分のことしか考えてない。」

慌てて荷造りをし、大阪に帰り仕事を探した。
既にバブル経済は崩壊。景気は降下をたどっていた。

 

東大阪にて。人生を考える。

数回転職を繰り返す「ぜん」。
やがて焼却場、化学プラントに付随する仕事に就くことになった。
「今までふらふらしていたけど、これで職人として道を進んでゆこう。」

心新たに気を引き締め直した「ぜん」。

しかし最初は現場仕事だったのだが、
やがて慣れてくると責任も大きくなり出張が続きだす。

毎日の忙しさに、疲れもたまってくる。

そんな時、ふと長野で出会った「こしょう味噌」の味を思い出した。

【もう一度あの味を口にしたい!】
自分では何度も上手くいかなかったあの味。

「あのさ、作ってみて欲しいものがあるんやけど。」

めずらしくものを頼む息子に少々戸惑いながらも、快く作ってくれた母。
その時母が再現してくれた「青唐辛子味噌」を一口。
思わず声が出た。

「んまい!!(美味い)」

さすが母親である。家族の、子供の味覚を知り尽くしている。
ろくに分量や入っているものも伝えきれていないはずなのに、まさに長野で食べたあの味だ。

「ぜん」は早速出張先で職人たちに味見をしてもらうことにした。

「うまいな、これ。」

職人たちは白飯と一緒にほおばりながら、次々に箸をつけた。

その時「ぜん」の胸の中で嬉しさとともに素直な感情が広がった。
【折角だから、沢山の人に食べてもらいたい。】

決して商品化から入ったわけじゃない。
ただただ、周りの反響がよかったのだ。

青唐辛子味噌が目当てになった昼飯時の職人たちの中には、
先に食堂に入っても「ぜん」が来るのを待ってから飯を広げるものも出てきた。

ある時、午前中の仕事が長引いた。
やっと食堂に入った「ぜん」に職人達が声をかける。

「ごめんな!遅かったもんだから、勝手に冷蔵庫から拝借したよ。」

遅いと、勝手に冷蔵庫から出してたべていた。
くったくのない表情で、「うまいな、うまいな。」

腹が立つどころか、本当に嬉しく感じた。
そして、「これ、商品にしたらもっと沢山の人が喜んでくれるかな?」
という想いが芽生え始めた。

ある程度の数を生産するために、様々な食品加工場を回った。
ラベルのデザインを決めた。
商品化するにあたって、ネーミングを考える。

口にしてくれた人々の「うまい、うまい。」という声が頭に中にこだました。

「辛くてうまい・・・。」

何度か口にして、つぶやいてみた。

「辛・・・うま。」「辛んま。」

「辛んま!そうだこれでいこう!」

【ぜんの辛んま 青唐辛子みそ】が生まれた瞬間だった。

 

商品化から販売へ

なんとか商品が生まれた。
しかし、今まで職人として生きてきた「ぜん」にとって、販売は全くの未経験。
なにから初めていいかさっぱり分からない。

とりあえず大阪府下にある商店街をリストアップした。
50箇所を超える商店街。

「ぜん」は軒並み自分の足で巡った。
地下鉄の一日乗り放題のチケットを手にして、駅で降りるたびに職員に聞いて商店街を回ったのだ。
その期間、まさに2年。
ほとんどの店では取り合ってももらえない。
その度に折れそうになる心を奮い立たせて、飛び込み営業を繰り返した。

「とりあえず味をみてください」

訪れる先々で頭を下げた。
しかしながら、取引の成約の数よりも、ため息をつく回数の方が多い。
さすがに疲弊し始めた「ぜん」。

頭を抱えた。

「何か他に売るすべはないか?」
とにかく調べ、情報を仕入れてみた。
そこで目にしたのは、「大阪産業創造館」と「日本貿易振興機構(ジェトロ)」の存在である。

ブランディングのセミナーに行ってみることにした「ぜん」。
「こんな方法があったのか」「見るもの聴くものめずらしい」
まさに目からウロコの連続だった。

そんな時、ジェトロが主催する海外バイヤーを招いての商談会の存在を知った。
早速参加してみる。

ベルギーのバイヤーが興味を以てくれた。
「興味を持ってくれる人がいる」
それだけでも勇気が湧いてきた。

様々なセミナーを受けてみた。

 

そう、キッカケはチャンスだ。

あるセミナーに参加した際に、イギリス在住のアドバイザーの話しを聴く機会があった。
非常に興味が湧いたが、司会のアナウンスで一瞬落胆する。
「本日は名刺交換の時間はありません」

しかしながら、根性だけは飛び込み営業で鍛えられた「ぜん」。
休憩時間、サンプルをもって挨拶にいった。

「わざわざご挨拶に来ていただいて・・・有難うございます。」
逆に感謝してくれたそのアドバイザー。
「ぜん」に様々な角度からのアドバイスをくれた。

その甲斐あって、ベルギーから連絡があった。
「輸入可能かどうかを調べるので、配合比率を送ってほしい」とのことだ。

結果として、横浜の商社を通してベルギーに向けて出荷することになった。

すぐさまイギリス在住のアドバイザーに報告した。

電話の向こうで、アドバイザーは上気した声でこう言ってくれた。
「おめでとう!「ぜん」さん。この仕事やっていて一番嬉しい瞬間ですよ。」

今でもそのイギリス在住のアドバイザーとはやり取りを重ねている。

2014年にはタイの展示会に出展した。今まで目を背けてきた英語も、
「英語でプレゼンテーション」できるようにスクールへと通った。

 

今だから、言える。

「ぜん」にとって、今だから言えることがある。
【できるかな、という想いがあったら、やってみることだ。】
自分に訪れるキッカケは、全てチャンスなのだから。

思い起こせば若かりしころ、長野に行くまでは、大阪から出たこともなかった「ぜん」。
しかし今は沢山の人と知り合い、沢山の考え方に出会った。

シンガポールの伊勢丹で、タイの販路開拓で、
2016年フランスへ出荷が始まる。

「ここまで来たなあ。」

出荷直前の瓶詰めされた商品を手に、190cmに手が届く長身の男がつぶやいた。
生産者の金光 哲(かねみつ あきら)通称「ぜん」だ。

愛おしそうにゆっくりと「ぜんの辛んま 青唐辛子みそ」と書かれたラベルをなぞる。
そして、口元を引き締め、こう続けた。

「いや、これからだ。」

「ぜんの辛んま 青唐辛子みそ」はこれから世界を駆け巡ることとなる。

文:福満ヒロユキ

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